【高校生と学ぶ経済学②】ミクロ経済学の歴史

前回、ミクロ経済学は、「個人の経済活動(生活、利益)をよりよくしていくことが、社会全体にとってもよい結果をもたらすことできるということ」を前提にした学問ということでした。一方のマクロ経済学は、「社会全体をよくすることが、結果、個人にとってもよい結果をもたらすという立場」の学問ということを書きました。

今回は、ミクロ経済学の歴史を紐解いてみます。個人という語句が以後よく出てきますが、個人とは、人、企業、国のそれぞれ各人とみなしてください。

ミクロ経済学の歴史

簡単に流れをみていきましょう。18世紀の産業革命以降、経済学は注目されはじめます。そこで登場したのが、経済学の父、アダム・スミスの登場です。

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アダム・スミス

アダム・スミスの代表的な著書の国富論(こくふろん)の中では、一言で要約すると、「経済は、自由気ままに任せるべき」ということが書かれています。もっとかっこよくいえば、「個人の利己的な利益の追求は、(神の)見えざる手によって、社会共通の善をもたらすことができる」ともいうことができるでしょう。「見えざる手」は、アダム・スミスを語るうえで欠かせない言葉です。

たとえば、このような感じでしょう。

私たち大勢が、毎日美味しいごはんが食べられるのは、お肉屋、八百屋さん、米屋さんなどが社会のためというよりも、自分たちの利益のためにたくさん販売してくれるからとも言えるでしょう。

これは、経済学の用語で、競争原理といいます。この競争原理がはたらく競争市場において、利己的な個人だらけの世界でも、社会全体も発展し、皆が利益を享受できるという楽観的な発想が18.19世紀は続きました。

20世紀半ば

20世紀半ばになると、ケネス・アローやジェラール・ドブリューなどの学者が登場し、経済学に新たな視点を次々に与えてくれます。その中で誕生したのが、ゲーム理論もその1つです。このゲーム理論は一言でいえば、「個人の利益の追求は、グループ(社会)全体の善・利益につながらないときもある」ということを証明した理論です。

18.19世紀にも、「見えざる手」が完全でなくことはうすうす感じられていました、たとえば、ある人が利益を独占し、完全競争でなくなったときに「見えざる手」は、はたらかないなど。その完全でないことを、「ゲーム理論」を1つとっても、論理的に証明されたことになります。

経済は複雑に絡み合っていることが、どんどんわかっていきました。

20世紀末

ミクロ経済学は、大きな転換点を迎えます。それは、「個人の経済活動(生活、利益)をよりよくしていくことが、社会全体にとってもよい結果をもたらすことできるということを前提にした学問」の根幹にかかわる、そもそも「個人にとってよりよい経済活動はどんな場合を指しているのだろう」という新しい問題が浮上します。

こうして、経済学は、学問の領域を越え、心理学と結びついていきます。それが、「行動経済学」です。行動経済学とは、「人間個人の不合理な行動について有益な洞察をもたらしてくれる」学問です。この学問は、今や、犯罪行動、中毒行動、恋愛行動などにも応用されています。これらの学問を語るうえで欠かせないのが、ダニエル・カーネマンとゲーリー・ベーカーでしょう。どちらもノーベル賞を受賞しています。

現在

ミクロ経済学において、今最も旬な話題は、「個人の経済活動(生活、利益)がよりよくなり、社会全体にとってもよい結果をもたらすことできるときは、どんなときだろう。」ということです。これらを追求し、貿易や税制、賃金、働き方、保険、格差などの諸問題を解決していく新たな視点や解決策をもたらす学問の1つがミクロ経済学とも言えます。

前回の復習

【高校生と学ぶ経済学①】ミクロ経済学ってなに?
今回から定期的シリーズでミクロ経済学について取り扱っていきたいと思います。なぜ今「ミクロ経済学」なのか。それは、自分たち...
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