福岡の松原の名所 玄界灘に沿って広がる12か所の松原です。玄界灘に沿って広がる松原。その松原は、私たちの暮らしを守ってくれています。松原が、潮風や砂から私たちの住宅や田畑を守ってくれています。
福岡、玄界灘に沿う松原の12の名所
(1)虹の松原

唐津城 展望
日本三大松原の1つ。樹齢数百年を超える老木から幼木まで約100万本の松が育っています。唐津城展望所からは唐津市内が一望できます。玄界灘と虹の松原の雄大な景観や、松浦川と城下町唐津の風景は絶景です。
〒847-0022 佐賀県唐津市鏡
(2)深江松原
規模は、小さいですが、砂を防ぎ人々の暮らしを守る大切な松原となっています。この松原には、愛称があって、「ふかまつ君」です。
(3)幣の松原
糸島市のサンセットロード沿いの松原です。1960年には、「海賊八幡船」の映画のロケ地になっています。芥屋の大門、サーフィン芥屋など福岡市民のドライブ、レジャースポットとして有名です。
〒819-1335 福岡県糸島市志摩芥屋(糸島市の観光名所)
(4)長浜海岸
元寇防塁跡に沿って続く今津の松原。元寇防塁の資料館もあるので、ゆっくり歴史の勉強に浸ることもできます。長浜海岸は、博多湾の南西部に位置する今津湾の外海側の浜になります。全長は約3キロの雄大な海岸で、大原の海水浴場もその一部となっています。今津の海岸は砂浜や海水も非常にきれいで、夏になると多くの海水浴を楽しむ家族連れでにぎわいます。
(5)生の松原
元寇防塁跡があり、弘安の役での激戦地だったと言われています。現在は、九州大学の演習林もあります。
(6)ももち浜

シーサイドももち
「シーサイドももち」の人工海岸で、周辺は福岡市の副都心として栄えています。1987年に、約40000本のクロマツが植樹されました。シーサイドももち海浜公園のメインゲート「中央プラザ」があります。球体、ピラミッド、壁泉など、いろんな種類の噴水で水遊びも楽しめるようになっており、観光客や家族連れの写真撮影のスポットとなっています。
福岡市早良区と中央区に跨る埋め立てウォーターフロント開発地区
(7)奈多松原
神功皇后の由緒があり、松原内にある志式神社は、三韓遠征の際に神楽を奏し守護神として祀られた地と言われています。
(8)楯の松原
潮風や砂などの「楯」となることが、名前の由来です。福岡県の快適な環境スポット30選に選ばれました。
(9)花見浜
3つの団体が、地元住民や小中学生と連携して活動している浜です。
(10)勝浦・福間海岸

福間海岸の夕日
美しい夕陽が楽しめることでも有名。楯の松原から津屋崎まで続く約10kmの松原を「パラソル松原」と言います。福岡県や宗像地方でも屈指のスポットとなっており、「九州の湘南」と呼ばれている福間海岸です。福間海岸から相島を見た玄界灘の海と夕日のコラボレーションが絶景です。
(11)さつき松原
樹齢200年以上のクロマツが見られる見事な松原です。
(12)三里松原
幅1kmを超えるところもある広大な松原です。芦屋海岸まで入れると三里(約12km)続くのが由来です。
松原の植林の歴史
江戸時代に、当時の黒田藩、唐津藩などにより松原の植林がはじまったとされます。目的は、海風による砂の害を防ぎ、田畑を守ることでした。しかしながら、松は植えたからと言っても、すぐに風を防いでくれるわけではありません。生長するのに何十年もかかります。砂に埋もれて枯れてしまう松もあり、何度も繰り返し植林が行われました。また、松を伐採したものは、厳しく罰が与えられたとのこと。そうやって、多くの人が苦労し、長い年月をかけてようやく「白砂青松(はくさせいしょう」と呼ばれる白い砂浜。青い松原の風景が生まれました。
現在の松原の状況は、松枯れが広まっている!?
昭和30年以降、とりわけ戦後は、家庭の燃料が薪や炭から石油などの化石燃料に代わってから、市民が松原に入って、松葉や枝を集めなくなりました。このことから、樹木が生い茂り、荒れてきました。さらに拍車をかけるように、外語句からマルノザイセンチュウという線虫による「松枯れ」被害も広まっています。しかしながら、現在、玄界灘のあちらこちらで、松原を守る活動が広まっており、松原を守ろうとしています。
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